中国新聞の記事を論評するブログ

中国新聞 2008年3月9日付 社会(33面)

さらばハルモニの学舎
地域でサポート 在日コリアン識字教室
広島県府中町 高齢化で生徒減 最後の4人卒業

ハルモニの日本語教室が幕 (ネット簡略版)
(紙面版)
 「孫に手紙が書けた」「カラオケの字幕が読めたよ」。学校に通えなかった在日韓国・朝鮮人のお年寄りたちが日本語の読み書きを習う広島県府中町の識字教室で八日、最後の授業があった。地域に支えられほぼ九年。学ぶ喜びを知ったハルモニ(おばあさん)四人は学舎との別れを惜しんだ。 (小畑浩)

 孫且善(ソントスン)さん(81)はこの日、買い物のレシートを持参した。ボランティア講師の広島女学院大四年の児玉曜子さん(22)に教わり、品物や値段を読むことができた。「いい先生に恵まれて幸せ。もっと習いたい」。表情に寂しさが浮かんだ。
 十五歳で来日し、掃除などの仕事をして五人の子どもを育てた。食べていくのに精一杯で、勉強の余裕はなかった。銀行や病院で自分の名を書類に書けないもどかしさ。買い物にも不自由した。
 そんなハルモニに児玉さんは「生き抜くたくましさを教えてもらいました」。
 教室の開設は一九九九年。町内の学校で前年あった民族差別的ないじめがきっかけだった。町に暮らす在日韓国・朝鮮人は約五百人。人権学習の一環として、地域の教員、在日コリアンの保護者らが協力、「府中トンベックの会」を立ち上げ、週一回の学びの場を設けたのだ。
 こうした取り組みを通じてハングル講座も始まり、中高生との交流も生まれた。だが受講生は高齢化、当初の二十人から四人に減り、最年少は七十四歳だ。教室に通うのも難しくなってきた。近くにできたデイサービスセンターがハルモニの「居場所」となったこともあり、閉講を決めた。
 住民らとともに教室を運営してきた在日韓国人二世の朴富(パクプ)さん(56)は「地域と一緒にこの場をつくれたのが収穫」と語る。十五日には修了式がある。培ったきずなを守ろうと、住民や子どもたちも集まってくる。

写真 最後の授業でボランティア(両端)から日本語の読み書きを学ぶ在日一世たち (府中町・ふれあい福祉センター)




>十五歳で来日

お得意の強制連行でもされたんですか。


>町内の学校で前年あった民族差別的ないじめがきっかけだった。

調べてみると「府中町内の中学校で朝鮮籍の女子生徒のカバンが切られるなどした」という事らしいが、どういう理由で切られたかは書かずに、勝手に民族差別と決め付けるのはさすがですね。
一応検索してみたけど、詳しい内容は見つからなかったし。
仮に民族差別だったとしても、識字教室とは何の関係もないとは思うが。


<生活>生きる力と自信与えて 在日ハルモニ支えた識字教室 (民団新聞)

広島「府中トンベックの会」の10年

 1999年9月、在日のハルモニたちを対象にした識字教室「府中トンべックの会」が、広島・府中町で産声をあげた。ハルモニたちは読み書きの勉強を通して学びの喜びを知り、生きる力と自信を育んできた。延べ1000余人が学んだ足かけ10年にわたる活動は、来月15日の修了式で幕を閉じる。「ハルモニたちの笑顔を一つでも多く見たかった」と発足当時の思いを語る同会代表の在日韓国人2世、朴富さん(56)に話を聞いた。

■□
学ぶ熱意に押され延べ1000人送り出す

 毎週土曜日、府中町のふれあい福祉センターで行われてきた日本語の読み書き教室。74歳から85歳までのハルモニたち4人が通ってくる。来月15日に行われる教室最後の第9期修了式には、卒業作品の展示、演劇発表もあるため、ハルモニたちは大忙しだ。

 おしゃれな朴仁鐘さん(74)は切り絵の作品を指さしながら、「細かいところが多いから難しい」と一生懸命、説明をしてくれた。教室には1回目から参加し、日本語の読み書きを覚え行動範囲が広がったと話す。

 孫且善さん(82)も最初から出ているメンバーだ。「日本に来て苦労ばかりしたよ。一番困ったのは字が書けないことだった。自分の名前も書けなくて情けない思いを何度もしたよ。でも今は字が書けるようになって嬉しい。先生たちが一生懸命だから、休まず来ました」と笑顔を見せる。

 ハルモニたちに名前を書いてもらった。ペンをしっかり握りしめながら、丁寧に一字一字を書き綴っていく。

 「あいうえお、かきくけこは、見たことも書いたこともなかった」という兪龍順さん(85)。「覚えるのに時間はかかったけど、一生懸命に書かなくちゃという気持ちがあった」と、はにかみながら「九九も覚えたよ」と付け加えた。

 そして1時間以上かけて廿日市から通ってくるのが河海洙さん(84)だ。以前、「そんな遠くからきてあんた偉いね」と言われたことがあった。河さんは「当たり前だ。私は毎回、千円を払ってきている。千円分勉強して帰らなければ」と答え、ボランティアたちを驚かせたほどの勉強家だ。

 朴富さんが「熱心で優等生ですね」と声をかけると笑い声が起こった。

差別事件を契機に設立

 98年、教室を立ち上げる契機となる事件が起きた。府中町内の中学校で朝鮮籍の女子生徒のカバンが切られるなどした。「中学校だけではなく、地域全体で考えなければならない問題として取り組みが始まりました」と朴さんは当時を振り返る。在日の父母たちによる広島在日コリアン保護者会が立ち上がった。朴さんは副代表2人の一人に就く。在日コリアン人権協会広島のメンバーと、差別を許さない教員らとともに、学校、教育委員会を相手に事実確認会の場を設けた。

 この一件を契機に、中学校の教員の呼びかけで「府中在日韓国朝鮮人の教育を考える会」が発足。99年3月には、同胞の子どもたちの集まれる場所にと「府中チャンゴクラブ」が発足するなど、人権学習の見直しなどがなされていった。

 ちょうどそのころ、義母から字が書けないという話を聞いていた朴さん。「日本のお年寄りたちはゲートボールとかの集まりに行くけど、同胞のお年寄りたちは働くだけ働いて、子育てをしてきました。どこにも行けないハルモニたちに誰が目を向けるのですか。一番分かっている私たち韓国人がやらなければならないと思いました」

町の教委も助成で応援

 その後、保護者会のメンバーをはじめ、在日コリアン人権協会広島、府中在日韓国朝鮮人の教育を考える会の教員らの賛同を得て、99年9月、「府中トンべックの会」を立ち上げた。さらに関係者たちを喜ばせたのは、府中町教育委員会が「生涯学習」の一環として教室に助成、ふれあい福祉センターの部屋も確保したことだ。朴さんらの働きかけが実を結んだ。

 助成金はノートや鉛筆、消しゴムなどの購入に充てた。また、教材は教科書会社から廃版になった小学校1年から6年生までの教科書を何組も寄付してもらった。

■□
「カラオケの歌詞が読めた!!」

 99年9月18日の発足時には毎回、ハルモニ、ハラボジ約20人が参加。中学生から70歳代までの同胞、日本人がボランティアを務めた。

 「孫に手紙を出したい」「レシートの見方が分からない」「バスに乗れない」。それぞれの思いを抱えながら学んできた。多くのボランティアはその置かれた厳しい現実を初めて知った。

 以前、ハルモニたちと一緒にカラオケに行ったときのことだ。画面に写った歌詞を見たハルモニが「センセー、字が読める」と叫んだ。「今までは耳だけで覚えてきたんです。その場にいた私たちは泣きました」

 これまでひらがな、カタカナ、漢字などの勉強以外にも、実践で役立つ学習として町役場の会報や病院で使う言葉、回覧板などを読む練習もしてきた。頑張ってきたハルモニたちの中には亡くなったり、病気などで来られなくなった人も多い。朴さん自身、年々、足腰の弱くなっていくハルモニたちの身体が気がかりだ。

 教室では送り迎えができない。数年前、同胞高齢者を受け入れるデイサービスができたことから朴さんは、ハルモニたちの安全面を考え教室を閉めることを決意した。だが、ハルモニたちから勉強を続けたいという声があがった。教育委員会からも人権教育の一環として教室を無くしてはいけないと背中を押されている。今、より良い方策を模索しながら、年内中の教室再開を目指す。

■□
取り戻した韓国人の誇り

 初めは鉛筆も持てない、まっすぐの線も書けなかったハルモニもいた。それでも皆、雨や雪が降っても通い続けた。 「読み書きができるということは生きる力、人生が変わるんです。だから文字は大事なんです」

 04年、トンベックの会はこの間の活動が認められ、「広島ユネスコ活動奨励賞」を受賞した。日本語の学習とともに、地域に暮らす在日として、日本人との内なる国際化を目指してきた。

 ハルモニたちと出会って韓国人の誇りをもらい、賢さと生きるたくましさを学んだと話す朴さん。そしてともに歩み、支えてくれた心優しい同胞と日本の人たちとの出会いが、この間の宝物だと何度も語った。

 10年かけて友だちになれたというハルモニたちのための、朴さんの新たな取り組みが始まる。

■□
仲間意識も芽生えて

 李菊枝さんは広島在日コリアン保護者会のメンバーでもあり、「府中トンべック会」のボランティアの参加を募るために03年、同会で開講したハングル講座で韓国語を教えてきた。ハルモニたちの日本人に対する変化が出てきたのは、開講2年目からと言う。

 「韓国語を日本の人に教えた後に、ハルモニたちの授業を行います。その入れ替わりのときにハルモニたちがすごく喜ぶんです。韓国語を日本の人に教えるということに誇りを取り戻すような感じですね」

 ハルモニたちは「生徒たちの肩を叩いて、『分かるか』と声をかけたりする。ハルモニたちも生徒たちも、ニコニコしながら話をしていました。お互いの存在があったから頑張ってきました。みんなで忘年会や新年会、遠足にも行く、同じ仲間なんです。この間の学習では、町役場の会報などの漢字にルビをふってくれたり、生徒たちはいろいろな場面で協力をしてくれました」

(2008.2.27 民団新聞)
シティ アクセスぷらざ (中国新聞)

まちかど探検隊
在日韓国・朝鮮人一世の女性集う
読み書き学び 生き生き
―広島・府中町の日本語教室

 周りを広島市に囲まれた広島県府中町で、町教委とボランティア団体が日本語の読み書き教室を開いています。学校に通えなかった六、七十歳代の在日韓国・朝鮮人一世の女性たちが週に一回、平仮名や簡単な漢字を学んでいます。一昨年九月に始まり、今月三日に五十回目を迎えた教室を訪ねてみました。

孫の名前に幸せ実感

 新幹線の高架そばにある町ふれあい福祉センターの一室。ボランティアとペアで机に着いた女性たちが、ノートに向かいます。この日、参加したのは七人。深いしわが刻まれた手に鉛筆を持ち、節分にちなみ平仮名で「まめをまく」と書き取っていました。一字一字、いつくしむような筆運びです。
 最初から通っている金鳳順さん(75)は正月、十一人の孫に渡すお年玉の袋に初めて、それぞれ名前を書くことができました。「おばあちゃんが書いたんじゃ。中身はええから、字がおうとる(合っている)か、早う確かめて」と、せかしてしまったそうです。

 孫が「字も中身も大丈夫じゃ」と答えてくれた時の喜び。それが、教室に通い続ける気力と、日々の生活の張りになっている、といいます。

 教室は町内の在日二、三世や教員たちでつくる「府中トンベックの会」が、年末年始と夏場を除いて毎週土曜日に開いています。トンベックはハングルで町の花・ツバキの意味。代表の朴富さん(49)は「一世の女性は家事や仕事の手伝い、『女に学問はいらない』という親の考えから、学校に行けなかった人が多かった。私の母もそう。学びの場を取り戻す手助けをしたい」と話します。

 教室ができたのは三年前、町内の中学校で在日韓国人の生徒への民族差別的ないじめの存在が分かったのがきっかけでした。町教委が差別解消に向けた取り組みとして、子どもたちのチャンゴ(朝鮮半島の打楽器)クラブ結成の支援と、読み書き教室の開設を決定。教室には年十五万円を助成し、文房具や茶菓子の購入に充てています。

 お年寄りが文字を学ぶには、大変な気力が必要です。病気で入院した人もいます。応募した二十人のうち、いつも通って来るのは十人弱。それでも「字が分かる喜び」を新しい生きがいとして、時には韓国のおやつや料理を持ち寄って息抜きもしながら、励まし合って続けています。

 「学級崩壊」など教育の課題がクローズアップされる中、学びたいと思ってもかなわなかった人たちが通うこの教室は、あらためて「学ぶこと」「生きること」について考えさせてくれる気がしました。 (道面雅量)



>町に暮らす在日韓国・朝鮮人は約五百人。

府中町の人口の約1%が在日かよ。
府中町(WIKIPEDIA)



しかし、なんで祖国に帰らなかったんだろうねえ。
韓国に帰れば、読み書きに苦労する事はないだろうに。
そもそも、こんな事を記事にする中国新聞もどうしようもないけど。



ついでにいろいろ検索して見つけたもの。
笹川先生は昔から学校で政治活動していたようですね。

全国在日外国人教育メールマガジン
 H.2004年度全朝教広島第2回集会のご案内

初夏の候、みなさまには何かとお忙しい時期をお過ごしのことと思います。
小泉首相の二度目の訪朝が実現しました。日朝・日韓関係に新たな前進がある
ことを期待したいと思います。
 さて、全朝教広島では2004年度第2回の集会として、府中トンベックの
会代表の朴富さんに「府中トンベックの会」の活動について報告していただく
予定です。「府中トンベックの会」は在日コリアン一世の識字教室として地道
な活動を続けておられます。その活動実績が認められ、今年の1月にユネスコ
奨励賞を受賞されました。また、8月には奈良で行われる全外教の全国大会で
報告していただきます。お忙しい時期とは思いますが、下記の日程で開催しま
すので、是非ご参加ください。

主 催 全国在日朝鮮人教育研究協議会広島

日 時 6月19日(土)14時30分〜17時00分 
場 所 県立生涯学習センター TEL082−262−2411
    〒732-0052 広島市東区光町2丁目1-14
日 程 1、「府中トンベックの会の活動について」
      報告   朴 冨 さん(府中トンベックの会代表)   
    2、その他
参加費 500円(年会員は無料です)
連絡先 全朝教広島事務局 広島城北高校 TEL082-229-0111
〒732-0015 広島市東区戸坂城山町1-3 笹川俊春



河海洙さんは徴用で日本で来たわけではないのに、さも自分達は徴用で日本にきたという嘘を堂々と言いたいようですね。
国民徴用令が朝鮮半島に適用されたのは、昭和19年9月から昭和20年3月までなんですけどね。
以下の毎日新聞へのリンク先は既に消えています。

【国内・在日】「冷たい言葉浴びせられ」在日韓国人が被爆体験を語る(広島市)[050619]

1 :つかφ ★:2005/06/19(日) 22:38:35 ID:???

 在日朝鮮・韓国人の視点で被爆や朝鮮半島情勢を考える集会「広島の『在日』を考える
−被爆、そして、今」が18日、南区西荒神町の広島市留学生会館であった。在日韓国人
被爆者の河海洙さん(80)が「戦後、日本人から冷たい言葉を浴びせられ、いっそ原爆で
死ねばよかったと何度も思った」と振り返った。

 河さんは韓国・慶尚南道出身で、9歳の時に両親と日本に渡った。21歳で現在の中区
広瀬北町で被爆。右腕などに大やけどを負い、避難先では家族4人が次々と鼻や口から
血を吐いて死んだ。

 被爆から1年後、現在の西区己斐付近にあったヤミ市で、日本人男性に「お前ら朝鮮人が
いたから日本は戦争に負けたんじゃ」とののしられた。「当時は情けない思いになったが、
今考えると、朝鮮人は何のために徴用に引っ張られたのかと、逆にその男性に問いたい」
と話した。さらに、「徴用された朝鮮人はとにかく生きるために働き続けるしかなかった」と
訴えた。


ソース(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/hiroshima/news/20050619ddlk34040203000c.html

関連スレ
【在日】億万長者 パチンコ業界NO1経営者「マルハン」韓昌祐会長インタビュー 中央日報[06/09]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118285936/
【在日】日本の富豪40人〜パチンコと消費者金融関連が計11人と全体の4分の1以上[6/10]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118388647/
【国内】被爆者手帳めぐり提訴 国外申請却下は「違法」 - 韓国人元徴用工…広島[06/16]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118914119/
【日韓】被爆者手当て 韓国内でも手続きできるか 日韓首脳会談で計画発表?[06/18]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119084370/
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