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中国新聞 2008年6月18日付 社説
宮崎死刑囚の刑執行 「心の暗部」が未解明だ
 二十年前の事件といっても、犯人の強烈な印象がいまだに残る。わいせつ目的で四人の命を次々奪い、遺族に遺骨を送りつけるなど猟奇的な手口で日本中を震撼(しんかん)させた幼女連続誘拐殺人事件である。その宮崎勤死刑囚の刑がきのう執行された。

 鳩山邦夫法相による死刑執行は四回目で計十三人。死刑が三年余りの中断後再開された一九九三年以降、最多だった長勢甚遠前法相の十人を超えた。

 気になるのはこのタイミングである。最高裁で判決が確定してから二年四カ月。裁判で刑事責任能力の有無が激しく争われた死刑囚の執行は慎重にするのが従来の慣行であり、急ぎすぎの印象がある。秋葉原の無差別殺傷事件を受けて抑止効果を狙ったのではないか、との見方もある。

 鳩山法相は「正義の実現と法の支配する国」を理由に「粛々と執行した」という。だが、宮崎死刑囚から事件についての謝罪や反省の言葉も伝えられないまま。心の暗部も十分解明されずに終わってしまった。

 確定判決によると、宮崎死刑囚は八八年夏から八九年にかけて、東京都と埼玉県入間市などで四―七歳の女児四人を相次いで連れ去って、殺害した。遺体を切断したり、骨を焼いたりもした。「今田勇子」の名で犯行声明を新聞社に送りつけるなど、社会に衝撃を与えた。

 公判では犯行当時の刑事責任能力が問われて、二度の精神鑑定を実施した。「人格障害はあるが、善悪の判断はできた」という責任能力を認める鑑定のほか、責任能力を一部否定する「統合失調症」「多重人格が主体の反応性精神障害」と三通りの鑑定書が出された。最終的に最高裁は完全責任能力を認め、死刑判決を下した。

 宮崎死刑囚は「覚めない夢の中でやったような感じ」と殺意を否認。「女の子が泣きだすとネズミ人間が出てきた…」など意味不明な言動が注目を浴びた。自分のしたことをどう考えていたのか、遺族に謝罪する気持ちが本当になかったのか。心の動きは分からない部分が多い。

 この事件の後も、子どもを狙った性犯罪は後を絶たない。犯罪防止に、宮崎死刑囚の心理や行動の分析をもっと役立てることはできなかっただろうか。責任能力を判断するために用いられた精神鑑定を、もう少し心の闇を解明するために活用してほしかった。

 遺族にとっては、死刑にしても物足りないような凶悪犯罪が相次いでいる。最近の司法判決は、被害者や市民感情を反映して厳罰化の傾向にある。一年後に導入される裁判員制度では、一般市民も死刑問題と正面から立ち向かう必要に迫られる。

 死刑制度については賛否両論がある。死刑の代わりに終身刑を導入しようという動きもある。そうした中で、しばらく立ち止まって考えてはどうだろうか。死刑制度の是非も含めて、国民的な議論を巻き起こしたい。
中国新聞 2008年6月18日付 社会(27面) ネット上のソースなし

宮崎死刑囚刑執行に思う
妄想と暴力 社会の気分が影
ノンフィクション作家 吉岡忍

 宮崎勤死刑囚の刑が執行された。
 私は、なんて世の中だ、と天を仰ぐ。何もかもわからないままの、幕引きじゃないか。こうやってわれわれは怠慢に、鈍感に、残酷になっていく。
 一九八八年から翌年にかけて起きた幼女連続誘拐殺人事件は、昭和の終焉、ベルリンの壁の崩壊と重なって、時代を画す出来事だった。私は彼の生い立ちをたどり、近くにいた人々の話を聞き、七年間におよんだ一審公判から、二〇〇六年の最高裁による死刑確定まで、すべての公判を傍聴した。本人とも文通した。
 わかったことは、彼が妄想のなかにいた、ということだ。彼自身は「覚めない夢のなか」と言ったが、妄想のなかでこそ彼はいきいきと活動的で、執拗に暴力的だった。言い換えれば、生身はからっぽだった。
 幼児のころから手首に障害があった彼は、自分の身体を嫌悪し、友だちとの深い関係を避け、祖父との「甘い世界」に逃げ込むことを覚えた。その一方で、「周囲にされたくない(仲間はずれにされたくない)」と、ゲームに夢中になり、アニメ、ビデオなどの収集にのめり込んだ。女の子たちを盗撮するときは、「ざまーみろ」とつぶやく攻撃性を身につけた。
 四人の幼女を誘拐し、殺害したときは、遺体を傷つけ、ビデオに撮り、焼いたという。いったん捨てた頭蓋骨を拾ってきて、再度捨てにいったときは「ひょっこりひょうたん島」を歌いながらだった。遺族あてに「今田勇子」の偽名を使い、ねっとりと長い犯行告白を書き送った。
 こうしたいくつかを、彼は断片的にしか覚えていない。幼女たちを殺したのは「ネズミ人間」「もう一人の自分」だと言った。妄想こそが、宮崎勤という人物をどぎつく動かしていた。
 だが、一審も二審も、単純なわいせつ目的の殺人と断じ、最高裁もその判断を踏襲して死刑が確定した。私は分厚い判決文を何度も読み返したが、その説得力のなさにあきれた。こんな怠惰なものの見方をするかぎり、気味の悪い事件は相次ぐだろう、と強く思った。
 案の定、地下鉄サリン事件(一九九五年)、神戸の連続児童殺傷事件(九七年)、和歌山の毒物カレー事件(九八年)、池田小事件(〇一年)等々から最近の秋葉原無差別殺傷事件まで、私たちは妄想に支配された人物たちが起こす事件に翻弄されてきた。
 いったいそれらの妄想は何がきっかけで始まり、どう攻撃性を高進させ、暴発するに至ったのか。彼、彼女に固有の問題はあるにせよ、妄想が暴力として発現する過程には、必ず世の中の気分や動きが影を落としている。再発防止を真剣に考えるなら、加害者が加害者になっていった道筋を子細にたどり、せめて世の中の側に潜む病理を摘出しなければならない。それこそが裁判の役目だろう。
 法務大臣は「正義」と「法の支配」実現のために、今回の死刑を執行したという。判決の説得力のなさを知る私には、この程度の理屈はいかにも軽い。もうすでに「死刑になりたい」と凶悪犯罪に走った人物がいたが、これでは、死刑制度の犯罪抑止力も軽くなる一方ではないか。

 よしおか・しのぶ
1948年長野県生まれ。著書に幼女連続誘拐殺人事件を追った「M/世界の、憂鬱な先端」など。







>最高裁で判決が確定してから二年四カ月。裁判で刑事責任能力の有無が激しく争われた死刑囚の執行は慎重にするのが従来の慣行であり、急ぎすぎの印象がある。

仮に時間をかけても文句言うんだろ。
宮崎勤がやっていない可能性があるというのならまだ分かるが、争点はほぼ責任能力だったので、それは鑑定結果を基に裁判で検証されたんじゃないのか。
従来の慣例とやらがおかしいだけで、確定から執行までの期間が二年四ヶ月ってのは正直言って長いと思うが。


>宮崎死刑囚から事件についての謝罪や反省の言葉も伝えられないまま。心の暗部も十分解明されずに終わってしまった。

事件から二十年もたってるのに、反省や謝罪もしない奴がこれ以上伸ばした所で今更反省するとも思えんが。


>犯罪防止に、宮崎死刑囚の心理や行動の分析をもっと役立てることはできなかっただろうか。責任能力を判断するために用いられた精神鑑定を、もう少し心の闇を解明するために活用してほしかった。

マスコミって心の闇だとかいう言葉は大好きだね。その心の闇とかを考えようともしないマスコミがよく言うよ。
勝手に中国新聞様が「心の闇」を解明してください。


>しばらく立ち止まって考えてはどうだろうか。

考えるのはいいけど、その間に死刑執行するなというのは別の話で、死刑制度に反対なら法改正を訴えればいいだけの話。


>私は、なんて世の中だ、と天を仰ぐ。何もかもわからないままの、幕引きじゃないか。こうやってわれわれは怠慢に、鈍感に、残酷になっていく。

これ以上時間かけたって何も分かるわけないだろ。
お前が思うのは勝手だが、勝手に「われわれ」とかでくくるな。


>わかったことは、彼が妄想のなかにいた、ということだ。

個人的な考えをさも事実のようにいわれてもねえ。


>私は分厚い判決文を何度も読み返したが、その説得力のなさにあきれた

私はこのくそ長い吉岡忍の駄文を何度も読み返したが、その説得力のなさにあきれた


>彼、彼女に固有の問題はあるにせよ、妄想が暴力として発現する過程には、必ず世の中の気分や動きが影を落としている。

社会のせいですか、そうですか。


>判決の説得力のなさを知る私には、この程度の理屈はいかにも軽い。もうすでに「死刑になりたい」と凶悪犯罪に走った人物がいたが、これでは、死刑制度の犯罪抑止力も軽くなる一方ではないか。

判決に説得力がないと個人的に思うのは自由だけどねえ。
死刑に犯罪抑止がないという死刑廃止論者がいるけど、死刑があるのは抑止のためではなく犯した罪に対する罰だと思うが。
そもそも抑止力がないから無くせとか言い出したら、刑法自体の必要もなくなる。
死刑になりたくないから出頭したという例もあるけどね。
日本も中国様を見習って死刑執行を減らすべき (当ブログ過去エントリー)

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